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麻布・広尾:武家屋敷の上に築かれた大使館群2024-10-17

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昔やれたことは今でもできる 逆に昔やれなかったことが今できたりする
負けてばかりさ それでも負けるんじゃねえ

江戸の歴史

Text:澁谷直道

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■麻布・広尾:武家屋敷の上に築かれた大使館群


 東京にある百二十以上の大使館のうち、ほぼ半数が港区内にあり、特に麻布地区に集中している。台地の傾斜地を利用してできた有栖川宮記念公園の横の南部坂の中腹にドイツ大使館があり、坂を上りきったところにはフィンランド大使館、坂を上らずに南に少し入ったところにはフランス大使館がある。また、公園西側の木下坂の上には、スイス大使館とノルウェー大使館が向かい合って建てられている。住宅街においても、パキスタン、オーストリア、中国、マダガスカル、ギリシア、ラオス、ルーマニア、南アフリカなどの各大使館が位置している。
 
麻布地区において外国公館が多く置かれた理由には、麻布が江戸の南端に位置し、海に面して外国人の上陸地点に近かったこと、また周辺には由緒ある大きな寺院が多く集まり、多人数の外国人一団を招く際にも必要な設備を整えることが可能であったことなどが挙げられる。  最初のアメリカ仮公使館となったのは旧麻布山元町の善福寺、イギリス仮公使館にあてがわれたのは旧芝高輪の東禅寺、他にも旧芝三田台町の済海寺、旧芝二丁目の西応寺、旧麻布本村町の春桃院などが外交官の公館として利用され、芝増上寺赤羽門付近と高輪泉岳寺門前には、外国人応接所が設けられたこともあった。  

当時、江戸で大施設といえば、神社仏閣、大名屋敷しかなかった。その中から寺院が外国公館に選ばれたわけだが、その背景には大名屋敷は攘夷の風潮が盛んであったため提供主がなく、また神社ではやはり攘夷派の過激な浪人たちを刺激する恐れがあり、また外国人にとっても神社よりも寺院のほうが生活しやすかったことが考えられる。  江戸時代においては、麻布一帯の台地の大部分は大名や旗本の武家地であった。現在の主な建築物をたどってみよう。戸沢上総介上屋敷が飯倉小学校、アメリカンクラブなどに、松平陸奥守下屋敷が韓国大使館などに、南部美濃守下屋敷が有栖川宮記念公園、中央図書館、野球場などに、また堀田備中守下屋敷が日赤医療センターや聖心女子大学などに転用されている。  

広尾についてはどうだろう。元広尾町から麻布広尾町にかけて、広尾原なる広大な広野が存在していた。現在の都立広尾病院や慶応幼稚園舎などが位置するあたりだ。「広尾の原」「土筆の原」とも呼ばれ、江戸時代には草摘みや虫狩り、月見など庶民の格好の行楽地として親しまれた。また、将軍が鷹狩りを行う鶉場(あらかじめ鶉を飼っておき、その鶉を放って鷹狩りを行う)でもあり、三代将軍家光や八代将軍吉宗も訪ねていた場所だ。広尾の地名も古くは平尾、広野、広岡などと呼ばれ、江戸初期には樋籠と記されていた。 「江戸名所図解会」にも広尾原の図が掲載されており、そこでは見渡すかぎりのススキの 野原で家族連れが草摘みを楽しんでいる。